きゃめるとの遭遇 終えて

『きゃめると水越朋の遭遇』

2019.11.16

at.公園通りクラシックス

きゃめると知り合ったのは10年前で、10年間お互いに活動を続けてこうしてコラボが実現しとても嬉しい。

今回一緒にやることになり、稽古期間に何かヒントを探そうとケルト文化の本を読んでいたら「変容」というワードが沢山出てきた。

[...想像力の産物はキリスト教とギリシア思想だけでは説明できない。「ケルト」文化はこの説明できない要素を多分に担っている。例えばケルトの神話には妖精や異界の存在の不思議な力によって、この世界が常に「変化」にさらされているという驚異の物語が満載だ。ーなぜこんなにも時間も空間も生き物も、めくるめく変貌し尽くすのか。]

きゃめるの楽曲も、ケルト音楽の形式で曲調がどんどん変わっていく。そこには迷いはなくはっきりとした変貌がある。きゃめるの音楽はいつも清々しい。

そして今回は即興演奏にも取り組み、また新しいきゃめるの音を聞かせてくれた。

きゃめるはアイリッシュ音楽が軸にあるのでダンスミュージックの一面もあって、だからなのか、踊ろうと誘われるように、それは誰に誘われているのかきゃめるなのか自分になのか別のものなのか分からないけど、とにかく誘われるように大きなうねりに身を預けていった。

他にも、今回自分じゃ絶対につけないタイトルを提案してくれて自分の名前が自分の活動のユニット名のようになった嬉しさだとか、コンテンポラリーダンスと名乗ったことで(アイリッシュダンスではないということを伝えたくて銘打った)新しい広がり方があったりだとか。人生初、CDにサインをするスペシャルな出来事もあった。(アルバムの内容には関与してないけど、ドキドキした笑)

出会いはカオスで、カオスは新しい何かが生まれるんだと色んな面を通して思った会でした。


©︎Hideto Maezawa






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2021年1月8日

稽古に使っていた公共施設が緊急事態宣言の影響で20時までしか使えなくなってしまった。(使える時間は半分になっても値段はそのままらしい。) 夜に稽古予定だったのでだいぶきつい。 家の稽古は出来るだろうか。。 逆境の中で「負けない」モードになると硬く頑なになるので、柔らかく柔らかく、すり抜けるように本番を迎えたい。脱力して抜け出す護身術を思い浮かべる。

感情と踊り

悲しかったり怒りだったりがある時のダンスの体験は、救いのようなものがある。 それが表現として良いか悪いかは置いておいて、先日の本番には自分がずいぶん救われた。抜け出せなかった日常の苦しみから吹っ飛ばされるように別次元へいった。清々しく突き抜けた。 本当に辛かった頃に救われた経験があるから、こうしてダンスを続けているんだよなぁと振り返る。そうしたネガティブな感情で自分自身が踊ることをしばらく否定して

記憶が浮かんで足が痛くなったり、足が痛くなって記憶が蘇ったりしてる。 記憶にのまれるとしんどいので、痛みと思考を観察する。

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